御霊神社

御霊バス停近く


平安時代、清和天皇の勅願により全国に36社を建立されたが、当社は九州におけるその一つである。
細川忠興(ただおき)が八代入城の後、林中に御霊宮があり祭神が細川家の氏神の京都御霊社の分霊であるため、正保元年(1644年)に現在の所に再興し30石の社領を寄附した。
祭神は、吉備笑臣(きびのおおきみ)・早良親王(さわらしんのう)・伊予親王(いよしんのう)・藤原大夫人(ふじわらのだいふじん)・文屋宮田麿(ぶんやのみたまろ)・橘速勢(たちばなのはやなり)・藤原廣嗣(ふじわらのひろつぐ)・火雷天神(ほのいかづちてんじん)で、みな恐ろしい怨霊を鎮めるという平安時代の思想 (御霊信仰)から発したもので、大切に祀られた。(特定の人物の怨霊を鎮めるために御霊会を行う、元来は神社に祀られる祭神ではない。)
再興のころは茶室がつくられ、忠興もしばしば参拝して茶の会を催し、江戸時代には松井家の請祭りとなっていた。祭礼には能楽が催されていたとの事だが、その舞台すら残っていない。
2月19日のお火たきの神事は「あめ祭り」と呼んで現在も受け継がれている。

【一口メモ】
吉備大臣・・吉備真備(奈良時代の学者で政治家)。
早良親王・・桓武天皇の同母弟。
藤原大夫人・・藤原吉子 (桓武天皇の妃)で伊予親王の母。
伊予親王・・桓武天皇の第3皇子。
文屋宮田麿・・文屋宮田丸(藤原宇合の子)。
火雷天神・・菅原道真
橘速勢・・平安初期の政治家、能書家。
藤原廣嗣・・廣嗣の乱の首謀者。

西宮町

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