御小袖塚
市指定史跡(昭和33年4月20日)
八代市妙見町悉地院大平山中腹 妙見町公民館山手
大平山の麓にある妙見町公民館の横の道を谷川に沿って登ったところに、壊れた玉垣に囲まれた五輪の塔が二基みられる。これが御小袖塚である。
征西大将軍懐良親王が、父君後醍醐天皇と母君霊照院禪定危御供養のために建てられた御陵墓で、親王が吉野を出発される時、形見にもらわれた父天皇の御小袖を、天皇崩御の知らせが届いた後、埋めて御陵墓を築かれたと伝えられている。中央にある二基の五輪の塔は何れも南北朝様式のもので、向かって左は天皇、右は御生母の塔である。
墓前には菩提所護国山顕孝寺を建て、仏壇には親王自ら御両親の御霊牌を作って安置して供養された。親王亡き後は名和氏が祀り、相良氏領有のころは寺号を悉地院と改めて、相良氏の祈祷所となり供養は悉地院が勤めた。相良義陽が響野原の戦いで戦死した後は、妙見下宮の神宮寺僧仙舜が庵寺の住職となった。 その後小西氏によって庵は焼かれ廃寺となり御霊牌は神宮寺に安置し、神宮寺廃寺後は医王寺に、そして現在は悟真寺御霊殿に奉安されている。
【―ロメモ】
医王寺・・・八代市袋町にある真言宗の寺院で松井氏の祈祷所、神仏分離令によっ て神宮寺などの遺物がこの寺に移されている。